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市政全般

新・市長日記 石岡を学ぶ、石岡に学ぶ(広報いしおか3月1日号)

 

2月8日(水)

石岡を学ぶ、石岡に学ぶ

 

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

 越後長岡藩の米百俵は、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩士、小林虎三郎の有名なエピソードですが、この教育の精神に通じる話が石岡市にもあります。

「広く知識を世界に求め、後進を育て、文化を基盤とした地域社会の建設を目指す」という志を抱いた若き教育家、手塚正太郎氏が発起人となり、この理想に共鳴した当時の町民のおよそ50人が500冊の本の寄贈によって、石岡小学校の一角に図書室が誕生しました。明治22年9月9日のできごとです。その当時は「石岡書籍館」と呼ばれました。

 国立国会図書館の設立は、明治30年、茨城県立図書館の設立は、明治36年。「図書館」という施設の概念がない頃の先駆的な取り組みでした。当時は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」や「文明論之概略」が地方で読まれていた時代。石岡書籍館ができた明治22年といえば、大日本帝国憲法が公布された年でした。

 歴史のないまちはありませんが、石岡ほど歴史の奥深いまちもありません。地域には後世に伝えていきたいエピソードであふれています。

 富国強兵・食糧増産の大正時代に、八木の干拓事業を霞ヶ浦でいち早く始めた高浜の醸造家・羽成卯兵衛さんは、私財をなげうって55町歩の美田を完成させました。実に10年がかりの大工事でした。

 国分寺の境内には、江戸時代の芸聖と呼ばれた都々一坊扇歌の墓と六角形の扇歌堂があります。扇歌は都々逸の創始者であり、江戸の寄席を席巻した一流の芸人でした。その扇歌が、なぜ石岡に埋葬されまつられたのでしょうか。また、江戸から石岡に来ることになった理由は何なのでしょう。

「石岡を学ぶ」ことは、まず石岡を知ること、情報を得ることです。そして時代背景やその人の哲学、思想、人生観、志、思いにまで達したとき、「石岡に学ぶ」ことになるのだと思います。想像力を働かせ、切り口を変えて観察し、その時代に生きた人々の心が理解できたなら、石岡を誇らしく思えると信じています。

 4月1日、中央図書館の隣りに、児童書の専門館「本の森」をオープンさせます。郷土を知る楽しさを覚え、先人の教えを理解し、郷土への誇りと自信を持つようになる。子どもたちにとって、そんな場所になることを願っています。

 『手塚正太郎氏』の画像石岡書籍館を創った手塚正太郎氏

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このページに関するお問い合わせは秘書広聴課です。

本庁舎 2階 〒315-8640 茨城県石岡市石岡一丁目1番地1

電話番号:0299-23-1111(代表) ファックス番号:0299-22-5276

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