街なか散歩(常陸国分寺跡)

 
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国指定特別史跡:国分寺は聖武天皇の勅願により天平13年(741年)以来,国毎に設置された寺院で,正式名称を金光明四天王護国の寺といいます。

都々一坊扇歌堂

画像:鳴滝の流れ市指定文化財:国分寺境内に都々一坊扇歌堂があります。

都々一坊扇歌は,文化元年(1804年)医者・岡玄策の子として久慈郡磯部村(常陸太田市磯部)に生まれました。幼少の折,病により失明同様となりましたが,芸の道を志し船遊亭扇橋の弟子となりました。その後「よしこの節」「いたこ節」などを工夫して,新しく「都々逸節」を作り都々一坊扇歌と名乗りました。
扇歌は,当時の政治や社会を批判したため江戸追放の身となりました。その発端となったのは「上は金 下は杭なし 吾妻橋」の一句でした。江戸を追放された扇歌は,姉の嫁ぎ先である府中香丸町の酒井長五郎の旅宿に身を寄せ嘉永5年(1852年)48歳で没しました。昭和8年(1933年),都々一坊扇歌を記念し町内有志の呼びかけにより扇歌堂が建立されました。

旧千手院山門

旧千住院山門市指定文化財:国分寺境内に旧千手院山門があります。

千手院は弘仁9年(818年),行基大僧正の弟子・行円上人によって開基され,建長4年(1253年)の第一一世心上人が没するまで続いたと伝えられています。その後の記録は残されていませんが,天正元年(1573年)には京都東寺宝菩提院の禅我大僧正の弟子・朝賀上人によって中興されたといわれています。
これら千手院末の寺院はその大部分が府中の町にあり,人々の信仰を集めましたが,明治初年にはそのほとんどが廃寺となっています。
また,千手院も大正8年(1919年)3月に国分寺と合併して廃寺となり,現在ではこの山門が残るのみとなっています。

 

場所 石岡市府中5-1-5
駐車場 なし
お問い合わせ先 【石岡市役所商工観光課】電話番号0299-23-1111

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  • 【更新日】2023年6月14日
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