瓦塚窯跡は、主に奈良時代の天平13年(741)、常陸国府(現在の石岡市国府周辺)に国分寺・国分尼寺等が建立された際に、その屋根に葺く瓦類を製造した窯跡です。昭和12年(1937)に茨城県の史跡に指定されました。
従来の調査では窯の構造が粘土質の地山をくり抜いてつくられた「地下式有段窖窯(ちかしきゆうだんあながま)」と判明しています。内部は5段に造成されています。
その後,平成19年からの継続調査により,須恵器と呼ばれる硬質の土器を焼く窯跡が1基,瓦窯跡が34基,製鉄炉が1基確認されました。
須恵器の窯は7世紀前半のもので県内では古手の須恵器窯です。瓦窯は国分寺創建よりも古い8世紀前半に操業が開始され,国分寺が衰退する10世紀前半までほぼ継続的に操業が続けられることが判明しました。8世紀前半の瓦は常陸国府跡や茨城廃寺跡に供給されています。
製鉄炉は8世紀半ばごろのもので地下に穴を掘りその上に炉壁を建てる半地下式の竪形炉と呼ばれるものでした。瓦塚窯跡で砂鉄から鉄が生産されていたことが分かり,貴重な発見といえます。
このように長期にわたり窯の操業が継続され窯の基数が増えた結果,全国的にも大規模な窯跡となった点が高く評価され,平成29年10月13日に国の史跡に指定されました。
現在,「瓦塚保存会」の協力により,遺跡の保存が図られています。