7月26日
葵の季節
先日、県内の市長が集まり情報交換を行う勉強会がありました。
予定されていた議題を終え、その他に移った時、ある市長から、
「両親が不明な場合、市長が赤ちゃんに名前をつけるという法律があることをご存知ですか?そのような経験がある市長さんはいらっしゃいますか?」という話がありました。
出席した首長は、お互いに顔を見合わせて、キョトンとした表情です。
「確か石岡市で40年ぐらい前に、ありましたね」私は山本市長時代の随想に、生後4日の赤ちゃんが病院の玄関に毛布にくるまれて置かれていたエピソードがあったことを思い出しました。
以下はその随想からの引用です。
『体重2450グラムぐらいの男の子でした。親不明という事で、警察署に連絡され、保護施設に収容はしたものの、発見当該市で出生届をすることになっていて、それには姓と名を市長が名付け親として命名をし、出生届をするという経緯でした。
咄嗟のことで私もとまどいましたが、立派に育って欲しいという願いを込めて命名し、戸籍登録を済ませました。と同時にこのまま親達が名乗り出なかったら、この子の、これからの生涯はどんな風に展開されていくだろうと思いを致したとき、名付け親としてこれでいいのだろうかと考えました』
親なのに親になれない、親でないのに親になる。生き方や立場、境遇が変わればこうも違ってしまう人の世ですが、無垢な子たちは幸せになって欲しいと願うのが世の常でしょう。
我が子の誕生は嬉しいものですが、それにも増して孫の場合はそれを上回るものがあると思います。
40年ほど前にビートルズのリンゴスターが、初孫の誕生を震えんばかりに喜んだそうです。その心情を察してとある年配の方が作った俳句です。
~今朝の秋 リンゴの気持ちはよくわかる~
勉強会を終えた翌朝、鳥取県に嫁いだ長女が女の子を産んだとの連絡が入りました。名前は葵、体重3730グラム、母子ともに元気そのものとの一報でした。
え! リンゴの気持ち? 心の底から分かりました。
文 今泉 文彦