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石岡のひとインタビュー:早川幸子さん

「美しい暮らしが社会運動 フリーライター 早川幸子さん」

暖冬と言いつつも、冷え込む夕方。

今回のMIPPE石岡のひとインタビューは早川幸子さん。

早川さんとの出会いは、「5アンペア(A)生活をしている早川さんという人がいるんだよ」と、移住をしてから何度か聞き、「どういうことだ?これは話を聞いてみたい!」と思って押しかけたのが最初です。笑

謎の“5A生活”。早川さんの美しい暮らしの原点を見ていきます。

矛盾への気づき

早川さんの出身は千葉県。東京の自動車メーカーに就職しましたが、毎朝の満員電車にのまれる生活を7か月で終えました。もともと本が好きだったことや出版社への憧れがあり、編集プロダクションに転職したのち、フリーライターとして独立。しかし、貧困や環境問題、そして“原発のいま”を知ってから、生き方を見つめ直し、5アンペア生活を始めました。その後、八郷に移住し、庭で家庭菜園をしながら、フリーライターを続けています。

 

ーーー5A生活をはじめたきっかけはなんですか?

 

 ありきたりですが、3.11の原発事故です。当時は東京に住んでいたのですが、東京電力の福島第一原子力発電所の事故にひどくショックを受けました。それで、原発反対のデモに参加したり、勉強会に参加したりしていたのですが、だんだんと違和感が出てきて。

 デモに行って、「原発反対!」「反対!」とか言っているのに、家に帰ったら、それまでと変わらない生活をしていて、電気も使い放題。そういう自分の行動に、なんだか説得力無いなって思えてきたんです。言葉と行動が矛盾してるなと思ったんです。

 まずは自分が変わらなくちゃいけないと思って、5アンペア生活を始めました。

 

いわゆる「5アンペア契約」とは、東京電力の料金プランのの1つで、従量電灯Aという契約です。基本料金はなく、電気の使用量が0~8キロワット時までは一律に328.08円。それ以降は、1キロワット時超過するごとに29.80円ずつ加算されるという契約です(2024年8月現在)。一度に使える電気は500ワットまで。もともと、共同住宅の廊下などに使うことを想定したもので、利用している人はほとんどいません。早川さんは、知り合いに5アンペア生活している人がいたのもあり、始めた当時は「無理だったら戻せばいいや」くらいの軽い感覚で始めたそうです。

 

ーーー実際、5アンペア生活って暮らしていけるんでしょうか...?笑

 

この通り、楽しく暮らしております。笑

 

――― 電気を自由に使っている今の私の生活より優雅です。笑

 

でも、一度に使える電気は、最大500ワットまで。同時に使える家電製品が限られるので、5アンペア以内に抑えるためには工夫が必要です。笑

 

ーーー500ワット?ですか?

 

例えば、電気炊飯器の消費電力は1300ワット、電子レンジは1500ワットくらい必要なので、一般的な家庭で使っている家電だと、あっという間に消費電力が500ワットを超えてしまいます。笑 500ワットを超えないか確かめるために、ワットチェッカーというものを使っています。

 

 5アンペア生活を始めて、暮らし方もだいぶ変わりました。電子レンジは、今のところなくてもいいと思って置いてないし、ドライヤーは消費電力の小さいものを使っています。だから、「ゆりの郷(八郷にある温泉施設)」に行って、置いてあるドライヤーを使うとすぐ乾くので感動します!笑 お米は土鍋で炊いて、冷凍ごはんは蒸し器で温めて解凍しています。あえて電気というエネルギーを使わなくても困らないものって、意外とたくさんあるんですよね。

 

 ただし、エアコンは別で、他に代わりがない電気製品です。ところが、エアコンは省エネ性能に優れているものでも、消費電力が500ワット以内のものは今のところありません。5アンペア契約の我が家では、エアコンを使うことができませんが、ここ数年の猛暑は命の危険を感じるほど! なので、気温が上昇する夏の昼間は、図書館やカフェなどに行って、やり過ごしています。 幸い、私は健康で、自分で車を運転して、どこにでも行かれます。だから、自宅にエアコンがなくても、熱中症になることもありませんが、体力の落ちている高齢者や子ども、持病のある方などは、エアコンは必須でしょう。いまや、5アンペア生活は危険なので、「決して真似しないでください!」と声を大にして言いたいです。笑

みっぺ記事_早川さん01

▲ワットチェッカーでドライヤーの電力を測りました。5アンペア以内です!

移住までの助走期間

ーーー5アンペア生活は3.11がきっかけでしたが、その当時はどんな暮らしをしていたんですか?

 

 私はフリーライターをしているのですが、東日本大震災の影響でレギュラーで書いていた雑誌が廃刊してしまったんです。収入が激減してしまい、一旦、実家に身を寄せました。1年くらいして、少し生活が落ち着いたて、東京のアパートで一人暮らしを再開したのを機に5アンペア生活を始めました。

 

ーーーあ、ここで八郷に行くのではなく、再び東京へ戻ったんですね。

本格的な八郷への移住はいつごろ考え始めたんですか?

 

 3.11を機に、「やっぱりこのまま東京にいる生活で良いんだろうか?」って思うようになりました。都市の暮らしは、モノも、サービスも、何もかもお金で買って消費するしかなくて、お金がないと生きていけません。そして、電気や食べ物など暮らしに必要なものの生産を、地方に押し付けていると感じるようになったからです。だって原発があるのも地方じゃないですか?都市での便利な生活は、地方の犠牲の上になりたっているのではないかと思うようになって、地方への移住を考えるようになりました。

 

ーーー八郷以外も移住先を探しましたか?

 

 島根県や京都の綾部などにも視察に行きました。充実した補助金制度や移住者コミュニティもあって、どちらもとても素敵なところでした。でも、その後、八郷に出会って、「ここにしよう!」と決めました。

 

そして2014年5月、早川さんは初めて八郷を訪れました。

ーーー初めて八郷に来てから、どのくらいで移住したんですか?

 

 はじめて八郷に来てから、移住するまでは2年半かかりました。なかなか借りられる家が見つからなかったので、それまでは八郷で開催されるイベントに参加して、東京と八郷を往復していました。その期間で移住前の準備ができたかもしれません。そう思うと、移住までの助走期間は大事なのかもしれませんね。

 

ーーー確かに、助走期間って大事ですよね。この地域の雰囲気が合うのかって一回来ただけではわからないこともありますし。移住すると、家がある集落の班に入る・入らない問題があると思うんですが、早川さんは入っていますか?

 

 入ってます。私が住んでいる地域は、班に入る・入らないは自由で、強制ではないのですが、最初から入ろうと決めていました。班に入ると、お葬式のお手伝いとか、地域の清掃活動に参加しなくちゃいけないので、都市の暮らしにはない面倒なことも確かにあります。でも、こういう活動に参加して、話をしたりしているうちに、私のことを認識してもらえるようになって、いろいろと助けてもらえるようになりました。だから、私は班に入ってよかったと思います。

 そして、今、私班長なんです。2年ごとに順番に回ってくるので、偉くもなんともないのだけど、こういうことをちゃんとやることで、地元の人に少しずつ認めてもらえるのかなと思います。

美しい暮らしに執着するという、社会運動

暮らしの中で畑をやりたいのもあって、有機農業が盛んな八郷に来たという早川さん。

ーーー早川さんが思う、農的暮らしの良さってどんなところですか?

 

うーん、質問の答えになるかどうかわからないのですが…。「農業」「農家」という看板を立てていなくても、自分でお米をつくったり、野菜をつくったりしている人が八郷にはたくさんいます。そういう方々って、おおらかな人が多いような気がします。気持ちに余裕があるというか…。それは、食べ物が身近にある安心感なのか、それとも、毎日、毎日、自分ではどうすることもできない天候と対峙することで得た達観なのか…。まだまだ私にはわからないのですが、そういう方々を見ていると、私もあんなふうにおおらかで、優しくて力持ちな人になれたらいいなぁと思うんです。

 

東京にいた頃、3年間、市民農園に通って、野菜作りのイロハを教えてもらっていました。だから、移住してすぐに野菜が採れたっていうのも、農的暮らしを楽しめている要素になるかもしれません。

でも何より、自分が育てた野菜が成長していくところ見たり、虫にやられずに上手にできたとか、食べておいしいとか、そういう単純なことがうれしいです。我が家の隣の畑のおじさんは、いつもいろんな野菜をくれるんですが、私も上手にできた時はお返ししたりして…。無農薬でつくったキャベツやレタスを喜んでくれもらってくれたり。そうやって野菜をあげたりもらったりすることでもコミュニケーションが生まれたりしますね。

 

ーーーお互いが嬉しい野菜交換が行われているんですね。私はもらってばっかりで、野菜のお返しができるようになりたいです…! 

 環境問題を知ったことも、こっちへ移住するきっかけになったそうですが、この暮らしを始めて、環境への向き合い方は変わりましたか?

 

自分で畑をやってると、毎日のお天気に敏感にならざるを得ないから、自然災害のニュースも気になります。また、3.11の時のように放射能が畑に降って、私がつくった野菜が食べられなくなると思ったら、原発問題も他人事ではなくなります。畑って、世の中のいろんなことにつながっているんだよなぁと。東京にいた時は、頭のなかで分かった気になっていたことが、八郷に来て自分で畑をやるようになって、実感を伴って腑に落ちるようになったとう感じでしょうか。

 

食べ物を作ってるって強い。強い人に媚びたり、国に頼らなくていい。

言っちゃえば、たくさんお金がなくても生きていける。

畑は生きる術だと、早川さんは言います。

 

ーーー最後に、早川さんの生き方のモットーを聞きたいです!笑

大事にしている言葉ってありますか?

 

 “戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである”

 

 これは、英文学者の吉田健一(戦後に総理大臣を歴任した吉田茂の長男)の「長崎」という短い随筆に出てくる一文です。原爆投下で凄惨な被害を被った長崎を訪れた時の心情が書かれているのですが、これって東京電力の福島第一原発の事故にも通じるものがあるのではないかと思うのです。野菜をつくって、大切な人たちとごはんを食べて、他愛ない話をする。そういう日常を、何があっても手放さない覚悟をもって、日々を生きていくことが大切なんじゃないかなと思います。

 

東京にいた頃の私は、「原発反対!」と叫んでも、電気使い放題の暮らしをしていました。まったくもって説得力はなかったと思います。だから、声高に何かを叫ぶのではなく、まずは自分が電気をたくさん使わなくても暮らせるようにしようと思って5アンペア生活を始めました。電気使い放題の暮らしをしていたら、「たくさん電気が必要なんでしょ。だから原発を稼働させますよ」と言われたら、ぐうの音もでません。でも今の私は、堂々と「そんなにたくさん電気を使わないので、原発はいりません」と言えます。

 

ーーー「私は原発いりません」って言葉を堂々と言えるの、かっこよすぎます...

 

 でもね、別に活動家や仙人みたいになりたいわけではないんですよね。美味しいごはんを食べて、美しいものを見て、猫を愛でて、楽しく暮らしたい。前に、5アンペア生活しているのを珍しく思ったのか、お話会をお願いされたことがあったんです。最後に感想聞くと「普通の人なんだ」「お化粧していて安心した」って言われたたんですよ。私、自分ではとっても普通の人だと思っているのですが。笑

みっぺ記事_早川さん02

▲吉田健一さんの本に書かれている一文を見せていただきました

 

「もう自分の力ではどうにもできない」と諦めてしまえば、その瞬間から、見て見ぬ振りが上手くなっていく。

けれど社会の違和感に向き合っていくと、その土台には日々の暮らしがあり、美しい暮らしに執着することが、争いを生まない1つの手段なんだと、早川さんの生き方から学びました。

 

早川さん、ありがとうございました!

取材を終えて

世の中への意見を自分の行動で示していて、インタビュー中は言葉の端々からも、早川さんの芯の強さを感じました。早川さんのお家には、季節の細やかな移ろいを楽しむ、自然の中に溶け込んだ暮らしがあります。

私も早川さんのように、美しい暮らしを作っていきたいです!

 

インタビュー日:2023.12.14

取材/執筆/編集:石岡市地域おこし協力隊 小原百惠

このページの内容に関するお問い合わせ先

人口創出課

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  • 【更新日】2024年8月30日
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