新・市長日記 看板建築の街並み (広報いしおか3月1日号)

大正4年生まれの母は、98歳とは思えぬほど元気です。

公民館でカルタを楽しんだり、電子ブックで読書をしたりとマイペースの日々を過ごしています。
そんな母が、ふと子どものころを思い出して言いました。

「小学校1年の時、関東大震災があって私は庭に居たんだけど、
立っていられないほど揺れたのを覚えているわ」
強烈な経験だけに、90 年経っても記憶は鮮明でした。
「その夜、南の空が真っ赤に燃えて、東京が大火事だと大人に教えられたの」

大震災を経た東京の復興は、まず道路が広げられました。沿道の商店の多くは、2、3階建ての防火
性の高い西洋風の店舗兼住宅を建てるようになります。
建物正面を看板のように装飾するので、後に「看板建築」と呼ばれ昭和ロマンを象徴する建築様式の一つです。
2014/0301看板建築(大)

「小学校6年生の時、南の夜空がまた真っ赤になって、不安な気持ちで眺めていたの」
それは、昭和4年3 月14日の石岡の大火でした。
目抜き通りの中町から金丸町、守木町、守横町、富田町、貝地の606戸、1700棟が全焼した
悪夢のような出来事です。
やがて復興が始まると中町通りは拡幅され、東京で流行っていた看板建築の街並みが出現しまし
た。歩道にはガス灯風の街路灯とプラタナスが並ぶ、他の町にない洒落た通りでした。

昭和60年ごろ、石岡市史を編さんした筑波大の岩崎宏之教授がこう言いました。
「アーケードの上に見える商店の看板建築は、石岡の特徴的な財産だと思います。水戸や土浦にもこれだけ
のものはありません」
あたりまえの存在を貴重な物と指摘する慧眼はすばらしく、その言葉は、深く私の心に突き刺さっていました。
「NHK の小さな旅で履物店の十七屋さんが出たね。あれを見て、子供のころ美野里の田舎から石岡に来た時を
思い出したわ。石岡は大都会で、賑やかだったのよ」
そう振り返る母の口から、思い出話が次々に溢れ出しました。

昭和10年代の写真を見ると、看板建築の商店がずらりと立ち並び、壮観な商店街だったことに気づきます。
「最近は、千葉や埼玉などの県外から、カメラを持って建物を写している人が多くなったようね」
母は、街に人足が増えたことを喜んでいました。

文・写真 今泉 文彦

このページの内容に関するお問い合わせ先

秘書広聴課

本庁舎 2階

〒315-8640 茨城県石岡市石岡一丁目1番地1

電話番号:(代表)0299-23-1111(直通)0299-23-7274

ファクス番号:0299-22-5276

メールでお問い合わせをする

アンケート

石岡市ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?
メール認証のためのメールアドレスをご入力ください。
  • 【アクセス数】
  • 【ページID】2180
  • 【更新日】2014年3月11日
  • 印刷する