県庁の9階大講堂で行われた、東日本大震災3周年追悼復興祈念式典に出席しました。
橋本知事をはじめ、国会議員や県会議員、市町村長、各界の代表、遺族などが参列し、献花をして犠牲者の冥福を祈り、復興への誓いを新たにしました。
追悼の思いを胸に刻み、会場を後にして、車中から弥生の空を見上げたとき、私はふと宮城県気仙沼市の知人・畠山重篤さんを思い出しました。
畠山さんは、気仙沼市唐桑町でカキ養殖を営む漁業者で、良質なカキをつくるため山に木を植え続けています。その活動が注目され、「森は海の恋人」のキャッチフレーズで全国的に名を馳せた人です。
▲気仙沼でカキの養殖を営む、畠山重篤さんの水山養殖場の前にて
畠山さんの水山養殖場を訪れたのは2年前の8月で、現地は壊滅的な状態でした。 カキとホタテの養殖を、唐桑町西舞根の入り江で行っていましたが、そこを津波が根こそぎさらっていきました。 住んでいる家族は全員無事だったものの、港に近い老人施設にいたお母さんが津波で亡くなりました。
「大震災当日、京都大学の学生さんたちがここにいて、仙台空港への帰路半ばで津波に襲われて4人が犠牲になりました」
ヒゲを生やした畠山さんは無念の表情でした。
家は標高20mほどの高台にありましたが、その下まで水は押し寄せました。傾斜に生えた樹木の枝に、ロープやガラスの浮き球がいくつもぶら下がっています。 入り江は、穏やかな水をたたえていますが、民家が点在するかつての光景はありません。塩水を吸ったスギ・ヒノキは赤い葉に変わり、枯れ始まっています。
養殖場の辺りでは、あとを継いだ息子さんたちが重機で作業をしています。
「恒例の植樹祭は無理だと思っていたんだけど、息子たちのおかげで実現できました」
若者たちのパワーが、復旧を押し進めています。津波で外壁をはがされた作業場には、新しいロープの束が何百と重なっていました。
「これをすべて購入したんです。船や冷蔵庫もこれから揃えなければなりません」
と語る畠山さんが試算すると、復旧には約3億円もかかるといいます。
私は仲間たちと集めた心ばかりの義援金を手渡し水産場をあとにしました。復旧には多くの課題が横たわっていましたが、あれから復興への道を畠山さんはどう歩んだでしょうか。
あのときの光景を思い起こすにつけ、安寧な暮らしがいかに貴いかを改めて痛感します。
文・写真 今泉 文彦
新・市長日記 気仙沼の思い出 (広報いしおか4月1日号)
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- 【更新日】2014年3月11日
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