中世の石岡市を支配したのは大掾(だいじょう)氏という豪族でした。曹洞宗平福寺境内にはその大掾氏代々の墓があります。やや中央部に位置するものが最大の五輪塔で、全高 1.62m。それを中核として周囲に14基の五輪塔が林立しています。
大掾氏は中宮部・香丸・金丸・税所(さいしょ)・健児所(こにしょ)・弓削(ゆげ)の六名家と呼ばれる家臣団を擁していました。このうち宮部・香丸・金丸は現在でも旧町名として残っています。また、府中城土塁、税所氏の菩提寺である万福寺も石岡市内に存在しています。大掾氏は1590年、佐竹氏の侵攻を受け滅びますが、その足跡が石岡市内各所に残っているのです。