大正8年,政府は耕地整理法の実施面の強化,特に開墾事業を資金的に補強する目的で,「開墾助成法」を制定した。この頃は人口増加に伴う米価の急騰を背景とする食料増産の声が高まり,それに応じた高浜の醤油醸造業者,羽成卯兵衛と真壁町(現桜川市)の猪瀬蔵太郎が,大正9年,関川村地先の霞ヶ浦公有水面実測64haの埋立免許を取得し,霞耕地整理地区として共同執行による干拓工事に着手したことに始まる。
大水による堤防の決壊を重ね,工事も困難を重ねたが,現在は約60haの水田が出来上がり,稲作とハス田が実現している。
場所 | 井関 |