陣屋門改修日記その13「なくなった石垣」

11月30日(日)に竣工式を行った陣屋門ですが,かつて存在した袖塀下の石垣が解体修理後になくなったことについて,お問合わせをいただきました。

石垣については,陣屋門に関心を持ってくださる多くの皆様が疑問に思っておられると思いますので,石岡市文化財保護審議会で説明した考証の概要をお伝えします。

【理由1】石の種類や質から石垣は明治以降の施工

石垣に用いられた石は御影石で,ノミの跡などから,機械化以前の加工と考えられる。石質は柔らかで脆く,控柱の根継台などに用いられていた石と同一質(推定:新治地域産)である。一方,当初材である鏡柱,控柱の礎石(推定:稲田産)は堅固で,石垣等の石とは異なる。稲田御影は江戸期から上等な石として,特別な普請などで少量ながら掘り出されていたが,稲田・真壁・新治で御影石が大量生産されるのは,淡路島から石工が移住するようになった明治以降である。

控柱の根継台は,傷んだ柱の根もとを切り,御影の角石を挟んだだけのものである。工事の内容と質は場当たり的で上等ではなく,藩政時代のものとは考えられない。この根継台などと石垣の石は石種石質ともに同じである。よって,施工時期はいずれも明治以降と考えられる。

 

陣屋門日記12-1
陣屋門日記12-2↑拡大 陣屋門日記12-3↑拡大 陣屋門日記12-4↑拡大
陣屋門日記12-5 陣屋門日記12-6 陣屋門日記12-7
▲石垣(推定:新治地域産) ▲根継台(推定:新治地域産) ▲礎石(推定:稲田産)
※それぞれの写真の上は,石肌の拡大写真

 

【理由2】柱に,石垣があったことを示す痕跡がない。建設当初のものである潜り戸の袖塀側の柱には,小壁のための木舞穴はあるが,石垣上部の板壁の土台のための「ほぞ穴」や込栓穴がない。一方,板壁の枠を打ち付けたと思われる釘穴(6,7本)や,板壁(ささら子下見板壁)に絡む長押し取り付けの痕跡が見つかり,その以外の痕跡はない。袖塀の柱の根もとの土台接合部は,切り詰められていて不明である。

陣屋門日記13-1

上左の写真は,解体時に撮影した左右の潜り戸の袖塀側の柱2本。右の写真は解体修理前の陣屋門。右に置かれた柱と陣屋門とを矢印で結んでいるように,左に置かれた柱は,門本体を挟んで反対側の潜り戸の柱です。

 右に置かれた柱の白丸で囲んだ部分は,石垣の上の,板塀の土台が取り付く部分。写真で確認できるように,「ほぞ穴」がありません。左に置かれた柱の同じ部分には「ほぞ穴」がありますが,これは平成14年度に部材を大幅に修理した際に掘られたもの。下の平成14年度の写真から,部材を修理した様子が確認できます。

陣屋門日記13-2

なお,平成14年度の修理は,陣屋門の立地が府中城の堀跡で,地盤が沈下して建物にも歪みなどが生じていたことから,基礎の改修,建物の修理などを行いました。修理はかなり大規模なものでしたが,約10年しか経っていない平成25年度に解体修理を行うことになったのは,平成23年の東日本大震災によって鏡柱や方立,袖塀などがずれてしまったことや,平成14年度には修理を行わなかった屋根が,雨水の浸入などで腐食していることなどの理由によります。

以下,平成14年度の修理の様子を写真でご紹介します。

平成14年度「石岡の陣屋門」保存修理工事の様子
陣屋門日記13-3
▲揚屋工事の様子
陣屋門日記13-4
▲控柱(左が修理前,右が修理後)
陣屋門日記13-5
陣屋門日記13-6
▲潜り戸の扉(左が修理前,右が修理後)
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陣屋門日記13-8
▲平成14年度の修理まで,袖塀上部の小壁は室内用の石膏ボードが貼られていた。
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▲平成14年度保存修理工事前後の全景(左が修理前,右が修理後)

陣屋門日記13-10

 

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  • 【更新日】2014年12月9日
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