片野排禍ばやしは、戦国時代、現在の石岡市根小屋の片野城主太田資正(すけまさ)が武運を祈るために、片野に八幡神社を建立。その際に諸々の禍(わざわい)を排して繁栄を願う意味から「排禍ばやし」を奉納したと伝えられます。しかしながら、排禍ばやしの踊りの型やお囃子の調子がいつからこのようになったかを記した文献などはみつかっていません。
毎年7月第3か第4日曜日の片野八幡神社の祭礼に奉納され、山車や獅子舞、神輿が町中を練り歩きます。山車の上では「おかめ踊り」「狐踊り」「彦徳(ひょっとこ)踊り」が演じられます。
現在、片野地区では「片野排禍ばやし保存会」が結成されており、踊りやお囃子を披露するのみでなく、伝統を継承する若者の育成にも力を入れています。